よその国はどうなの?その3です。ベトナム・ホーチミン1995(30年前)
空から眺めると、ともかく緑の田んぼばかり。土はコーヒー色である。ボクは初めての街に行く時はいつも空からの景色を楽しみにしている。東京なんかは、真っ白い貝殻を敷き詰めたように見えたなあ。
ホーチミン(昔のサイゴン)は、なんといっても人口700万人の大都会だ。それなのに街らしきものが見えないままに着陸してしまった。ガッカリ。ボクは、飛行機で荷物を預けないので受取カウンターで待つことが無い。一人で外へ出てみた。2階だてのターミナルビルは、昔の防府駅から、壁や通路の掲示や飾りなんかを全部取り払って、壁を真っ白に塗りました・・・という雰囲気である。
黒いズボン・白半そでシャツの男性たちが何でだろうか?押し合いへし合い人垣をつくっている。両替え所は?と見渡すと、ベニヤ板で囲って、学校机ひとつの、宝くじ売り場の雰囲気のものがポツンと1箇所だけある。歩み寄って、女子高生にしか見えない女の子に10ドル(1000円=10万ドン)渡すと<こんなにたくさん!!?>と言った。5万ドン札を2枚くれようとしたので、5000ドン札を21枚もらった。はにかみながら、それでも笑顔での応対が新鮮だった。あとで聞くと、平均的な生活費が1か月1500円だそうで、今の日本で考えれば<10数万円~20万円を両替えして!>となったわけですねえ。
三菱自動車が今年(1995年)3がつからベトナムで小型バスの生産を開始した。その合弁会社社長から話を聞いた。オフレコ(ベトナムでは内緒!)も含む貴重な話だった。
ベトナムの人はレベルが高い。バイクの修理屋経験者がたくさんいてエンジンをいじるのは好き。終業後に英語学校に通ったり、とにかくよく勉強する。ほとんどが高校卒で勉強自体が好きなように見える。教えれば日本人よりうまく働くかもしれない。ただし、定着しない。半年くらいで、みんな、ドンドン辞める。ずっと同じ会社で働くという文化・習慣そのものがない。
工員は月9000円、事務職は月2万円、運転手は特殊技能者で月1万円~5万円。年収3万円のベトナムではいずれも高給である。日本人社長の給料は聞き損ねたが家賃が月45万円だそうである。4万円ではない。武装ガードマン付である。しかし、給与格差にベトナム人が不満を漏らし始めており気をつかっているとのこと。
ところで、ベトナムでは<給料は?>と尋ねると<サラリーか?テイクホームか?>と問い返されるそうである。ベトナムでは、会社で購入する品物は代金の数パーセントを納入業者がリベート(裏金)として支払い、これを積み立ててボーナスとしてみんなで分配する。帳簿にのらない、税金はかからない、統計にも当然載らない。なにをするにも、この<ご苦労さん料(と社長が言った)>が不可欠の由。というわけで、公称サラリーよりも、実際のテイクホームはかなり多くなる。
お米1kg30円、ミネラルウオーターが1本30円。水道水は沸かさないと飲めません。水道がない地域も普通。コーラ1本80円。パン1個10円・・・・そこで、三菱自動車のマイクロバス1台300万円!まだまだ個人のものになるには遠いとおい、自動車である。
国営の鉄工所を視察した。100人で街路灯を製造している。ホーチミン商工会議所職員が同行する。事務所は4階建てだが人気(ひとけ)がない。男性4人女性4人くらいがいるが、どの部屋もほとんど空き部屋。案内された会議室の扉(ドア)には共産党の封印紙が半分残っていた。部屋の隅の大きな書類ロッカーは封印紙を貼ったままである。そのロッカーの上には7月25日付の台湾高雄県の会社からの大型封筒が開封されず載っている。訪問は10月のことである。これらをいちいち確かめる私も変だが、これを質問は・・・できないです!
製缶工場は、古くて大きな溶接機が1台あった。1台しかない。製品らしいものは、ゴミ箱?が8個、ステンレスの2mくらいの水槽?が<転がしてあった>。溶接の出来は70点くらい。意外に上手である。
機械工場は旋盤が6台ある。50年以上前(1945年より前)のものばかり。日本製のものもあるが、ベルト駆動で、日本では博物館にもない。ちょうどホテルでみた新聞1面に<直結旋盤を導入>なんていう記事があって昭和30年代にもどった気がしてしまった。
フライス盤やボール盤もあって、削ったり、穴を空けたりしているが、総じて戦前?昭和30年代?のレベル。ということは加工の精度は10分の1mm程度。日本では100分の1mmが当たり前。数字ではわずかなちがいだが、桁がちがうということは100mを10秒で走るのと100秒で走る違いなので、差は随分おおきい。
しかし、なによりも、現場が暗くて、キタナイ。更衣室兼物置?はゴミ捨て場と変わらない。5Sが広まるのはいつでしょう?整理・整頓・清潔・清掃・躾ですね。
日本から、某メーカーが合弁の視察に来たが、その後連絡がないとのこと。まあ、無理もないことである。
国営鉄工所の続きである。社会主義国だから、作れと命令されたものをつくる。作った物は売れる(引取ってもらえる)そうである。競争はない。給料も競争はない。男性・女性・年齢・家族数・働き程度にかかわらず同じ給料だそうである。ホントかどうか知らない!
会社が払う税金は売上の20%だそうである。もうけという概念がないので売上が対象となる。合弁しようとすると、政府担当者とはなしがかみあわないよ・・・・とガイドブックに載っている。えらいこっちゃとおもう。
10mを超える高さの立派な街路樹の通りを、クラクションを鳴らしっぱなしでバスが<突っ走る>。交通信号はない。道路一杯にバイクと自転車があふれている。後ろは全然見ない!右折も左折も自由自在、勝手気ままに見える。それでいて5日間でぶつかるところは見なかった。たいしたものだと、変に感心してしまう。
ふりかえれば、サイゴン陥落が1975年、訪問の20年前である。ベトナム戦争は1960年からでいわゆる北爆が10年間続いた。ルバング島にいた小野田少尉が、毎日上空を飛んでいくたくさんのB52を見て、日本がベトナム北部で健在だと判断したそうだが無理もない。
ホーチミン(旧サイゴン)はフランスが明治・大正時代に70年かけて造り上げた街である。ロータリーがあってそこから放射状に広い通りが伸びている。つまりパリの街づくりと同じである。といっても、最初の構想がおなじということで、今のパリと比べてはいけないのである。高層ビルは4年前に建った外国人向ホテルなどしかない。そこに泊まりました。年収3万円の国で一泊1.5万円~3万円である。バンコクでの高層ビル建築ラッシュなど全くなくて静かなものである。
あの洪水のようなバイクは1台20万円するそうで、年収3万円の人たちがなぜ?なぜ?みんなが買えるのか?これはまた、あとで。
男性は黒ズボンに白シャツなのに女性は色とりどりである。つまり、大変稀にだが、東京のオフィス街から抜け出てきたようなオシャレな女性をみることができる。男性で上着を着た人をついに一人も見なかった。男性は道端にしゃがみこんで、まっ昼間から4~5人の井戸端会議があちこちで開催されている。
しかし、街へ出れば、軒を連ねた商店にはカラーテレビが何十台も、まるでマルチウインドウのように積み上げてあったりして(!)、たしかに活気はある。9年間のドイモイ(経済開放政策)の成果だろうか。まあ、アメリカ次第と思う。アメリカが経済制裁を解除したのは昨年(1994年)である。